リスクの相対性
11/28/22 01:53:午後
例えば、貯金10万円の人と貯金1億円の人がいて、両者が1万円を失うリスクを負ったとする。
このリスクは等しいだろうか?
リスクはその人の環境や思考や性格に、当然左右されるもので、相対的であるはずだ。
金銭的なリスクに限らず、
時間に感じるリスク、死やケガや病気のリスク、心に負う傷のリスク…
それぞれが人によって、必ず違う。
また、タイミングによっても、それをリスクと感じるか否かが変わる。
子供の頃に平気で飛び降りていた塀の上に今立つと、僕はきっと足がすくむだろう。
この相対性を無視して、
「行動が結果を生むのだから、行動しない意味が分からない」
とか、
「死ぬこと以外かすり傷」
などと言えてしまうことは、
その思慮のなさを存分に発揮しているとしか思えない。
誰かのリスクに対する感性が、他の人のそれと等しいわけが無いのだ。
僕も昔は、リスク不感症の誰かの話に左右されて、自身の行動力のなさを責めていた。
行動しない理由を探し歩く自身を責めていた。
でも、自分がリスクであると思うことは、誰に何を言われようと自分にとってはリスクであって、それをリスクと捉えることで僕は自分の世界を守っていたのだ。
自分の世界を守り豊かにすることこそが幸福である
と考えている今、
当時行動しなかった自分にグッジョブと言える。